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三船十段の武勇伝(上)

柔道の神様と呼ばれた三船久蔵(明治16(1883)~昭和40(1965)年)の武勇伝です。筆者は望月稔先生、当noteにも度々登場する先生です。先生は嘉納治五郎から植芝盛平門下に出向させられた最初の門人でした。これが柔道と合気柔術の出会いで、以後多くの柔道家が盛平門下になったのです。今回紹介する武勇伝は「三船先生の御天気具合」というタイトルでご自身の体験を披露したものです。昭和2(1927)年とありますから三船氏44歳七段・講道館指南役を務めていた時代の話しです。
 
三船先生の御天気具合 
                          柔道六段 望月稔
三船十段先生の玄関子(玄関番)を務めたのは筆者が19歳の正月(昭和2年)からで、現八段の白井清一と同じく赤川徳次郎・故田中忠勝君が先輩として玄関三畳の間にはみ出しそうになっていた。
第一日目の朝、真面目で茶目な田中先輩が「君、ちょっと裏庭を掃除してくれチンコロ(日本原産の愛玩犬ちん(狆)の別称、子犬のこと)が汚して困るんだ」という、心得たり、と尻をからげて庭ホウキとチリ取りを持って何の気なしに木戸を開けて一歩中に入ってギクリとした。22貫(82.5kg)日本一といわれたグレート・デーンか何かの大犬がデンと控えて見慣れぬちん入者に対して「ゴー」といううなり声で初対面のあいさつである。へへ、これでも三船家ではチンコロかいな。拙者より5貫目(18.75kg)大きいチンコロ君なぞ見たことないので、思わず敬意を表したが、そのままサヨナラは出来ない、仕方ないから、御入り用なら尻の方を少々お噛みつきください、というわけで後向きなって入口から庭を掃き始めた。チンコロ氏「面を見せろ」と言いたげな顔で私の前に回ったから、失礼とは言わなかったが、そのまま又チンコロ氏に尻を向けて奥へ入り込み「汚れ」なる大きな代物を掃除して仕舞ったが、その間、この庭の主人公、監督然として小生の働きぶりを見守っていた。部屋にもどったら田中先輩ニヤリ。白井先輩「何かいたろう?」と言いながら顔をのぞき込む、小生平然として、可愛いのが一匹いますネ。何せ愉快な大供の集まりで毎日が明朗である。(続)

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