合気ニュースと合気道界のこと(上)
「合気ニュース」を端緒に昭和62年ごろの合気道界の人物模様を鶴山先生らしい比喩で綴ったメモです。なお、人物比喩は「信長・秀吉・家康から史観的に大東流関係者を見ると(続-増補版)」に詳しいのでご参照ください。
「合気ニュース」という雑誌がある。これは片面が英語版、片面日本語版の日米向きの本で、編集者は毎号巻頭言を書いているスタンレー・プラニンである。この雑誌は最初植芝合気を紹介する立場で始まったが、「合気ニュース」は英語版があることから海外への影響は大きかった。外国人は論理的に、植芝合気がどのように作られ(ルーツを明確に)、どのように発展してきたのかを知りたがるので、これらに合わせた編集方針に舵を切ったのであろう。これは、私が20年前電電公社合気杖道会の会報の編集をしていた時と同じ傾向のものである。つまり、植芝総本部の範囲ではどうしても記事が書けなくなるのである。当時も機関誌「合気道新聞」が発行されていたが、飽き足りないことから、私は独自の調査を始めたのである。
さて、五月女貢(さおとめみつぎ)がAikido Schools of Ueshibaの代表者となっているそうだ。「合気ニュース」の影響で海外進出した模様で、要するに気の会が進める合気道に対し、本物の合気(植芝合気)は、これだという意味合いの合気道スクールらしいが、まだまだのようである。五月女は杉野嘉男(天眞正傳香取神道流免許皆伝)先生の娘さんと結婚したと聞いたが、杉野道場とは関係していないようである。