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新陰流考2

さて、二天一流とは宮本武蔵の剣のことである。一般には、二刀流は武蔵が創始したとの認識があるようだが、この見方は間違っている。武蔵の時代にも、タイ捨流、新陰流で二刀を使う勢法がある。それ以降の時代にもほとんどの流派の奥伝に二刀の技法をおいている。しかしながら、武蔵の場合のみ二刀流のイメージが強いのは、二天一流というように陰陽二刀を一刀として使う考え方を強く打ち出したものだったからであろう。武蔵は自流を円明流と名乗っていた。二刀の力をそれぞれ一刀の力に持っていく豪撃(こわうち)の発想で二刀を用いるものを全体として一つに使うここに極意があるのである。

一般論に対する認識の改訂はこのくらいにして、表題に対する研究に入ることにする。現在、柳生新陰流宗家を名乗っている柳生延春氏は、但馬守宗矩の剣は政治の剣だといっている。父厳長氏が書いた「正伝新陰流」の本の中で「宗矩は兵法をもって重用されたばかりでなく、また大政の顧問として縦横の才幹をふるった・・・」ことをもってそのようにいったのであろう。柳生新陰流といえば、江戸柳生家の宗矩・十兵衛などとテレビや小説に登場する高名な人が輩出したことに対するネタミなのであろうことはわかるが、江戸柳生に対する研究不足は明らかで、新陰流のすべてについて自分達が本家であると主張しているのである。この一種の我執は大東流の時宗氏にもある。名古屋から江戸に対する羨望や妬みであるにしても、それならそれなりに相手のことを研究して、自らの主張との差を明らかにすべきである。

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