秘伝・合気道 堀川幸道口述 鶴山晃瑞編 10
(承前)「やわら」は戦国時代の鎧組み討ち、小具足といった合戦武術が素肌武術とされたものですが、徳川時代に下級武士の武芸として発達しました。また、下級武士の予備軍を育成する目的で町民や百姓に寺子屋式の町道場で「やわら」を指導したこともあったようです。こうした背景から、サムライであっても「やわら」の熟達者は軽視される風潮があったのであります。
大東流合気柔術も「やわら」の部門に入りますが、こちらは会津藩の家老職以上の者に伝承される御殿術という独特なもので、合気之術に至っては500石以上の者でなければ見学することさえ許されなかった程のものでありました。
そのため武田先生は、当初は旧会津連合に属していた旧藩士、士族を中心に教伝して歩き、明治末期から大正にかけて、東北方面における地方裁判所長、判事、検事、警察署長、小学校長、村会議員などの著名士のみを対象としたのであります。
解説 「やわら」=柔術は、大別すると剣術・馬術・槍術・弓術(表芸)を補佐する(裏芸)ものとしての柔術と捕方術があり、さらに幕末になると健康管理用としての柔術が発達しました。
柔術をそれぞれの流派とそのコンセプトから分類すると、
拳法(拳術・白打・打手・搏手・手搏):人を蹴り、突くことを主とする技
捕手(取手・捕合):人を捕捉することを目的とする術と技
組打(小具足):元々は甲冑武者を組み伏せる技
體術(体術・胎術)、柔(和術・弥和羅):素肌武術の総称 となります。
その目的とルーツを異にする各種武術は、それぞれ独自に発展し、また細分化した結果、江戸時代には諸流派の勃興期迎えますが、江戸時代末期になると総合武術として剣術や棒術との統合、諸流派のいいとこ取りをした流派の創設など一部集約化の動きも見られました。
惣角の明治末期から大正にかけての指導状況については、別稿「武田惣角の柔術講習」をご参照ください。
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