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沢庵和尚29

「理の修行、事の修行」のこと
心の止まるところを捨て無心になるように。事(技)の修行をしなくて、理(道理)ばかり胸にあっても身も手も働かない。事と理は車の輪のようなものだ、と事理一致を説いている。
事の修行とは、貴殿の兵法でいえば、身構五箇の一字にある様に、様々の習い事である。
補足説明:「身構五箇」とは、流祖上泉伊勢守の口伝で身懸り(太刀の構え・姿勢・身の働き・そなえ・位)についての五ヶ条のことです。様々な習いとは、口伝書にある教えを守り稽古することです。
ところで、事理の一致、禅では心身一如の境地ということは、身体を制御するための一つの方法論だと思います。頭と体は物理的には不可分一体ですが、そこをあえて二律背反的にとらえることで、分析・見える化を図るのです。その上で、その統一・融合を論ずるという手法です。したがって、武術の理論だけを研究するというのも、技だけ・体だけ動かしているというのも、車の両輪にはなり得ませんから不十分ということになります。また、融合という観点からは、事の中に理が内在し、理が顕在化し事となる、事理不可分であるともいえます。沢庵も「事と理は車の輪のようなものだ」と書いていて車の両輪としていないことから、統一・融合それぞれの解釈ができるということでしょう。

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