大東流の新羅三郎説(上)
久琢磨から皆伝の口伝を受け、大東流誕生の秘話を知った鶴山先生は大変なショックを受けたのですが、そこから立ち直るや、従来からの疑問点を解決し、大東流にまつわる伝説を論破したのです。それに関するメモの一つを紹介します。
大東流の由来に新羅三郎説が出てくる原典は、その伝書にある。明治時代に武田惣角が発行した『大東流柔術秘傳目録』の系図には
「清和天皇-第六皇子貞純親王-御長子経基(世称六孫王賜姓源氏、正四以下鎮守府将軍)-長子満仲(略)-第四子頼信(略)-長子頼義(略)-第三子義光(新羅三郎、称甲斐源氏)-長子武田義清(称武田冠者、世居武田)-以下略」とある。なお、惣角発行以外の大東流伝書は見つかっていない。つまり惣角がもらったものはないのである。明治になって、武田性を名乗ったと考えられるが、武田性を選んだため、甲斐武田氏の先祖である源義光を引いてきたのであろう。
もし、この系図が本当なら伝統・格式を重んずる会津藩が放っておくことはないハズだ。惣角の父惣吉が田舎相撲の大関になることもないハズだ。身分(由緒)がはっきりしていれば、それを保護するのが建前である。徳川体制が出来たとき、反体制派でなければ、身分制の確立のため厚遇されてしかるべきである。惣角が無学無筆であったということは、そうではなかったことを裏付けている。惣角は、いわゆる学校には行っていないし、学問もやったことがなかったのである。惣角の学問は、霊山神社で保科近悳から教わったところから始まるのである。