宮本武蔵と吉川英治7
江戸庶民にとっては、参勤交代で江戸に来る全国各地の大名とその家臣団の立派な見かけと、ときに権力と財力に物を言わせた横暴、暴力に対し、自分達と同様に権力も財力もない無宿者で着たきり雀の武蔵が、徳川幕府の地方自治を担う代表者に反抗しているかの如く受け取られたのである。
江戸庶民は、ねずみ小僧の場合でも全く同じ感情を持って見ている。いくら民衆の共感を呼んだとしても、盗賊行為そのものをほめるわけにはいかない。しかし、それが権力を笠に着た大名屋敷の鼻を明かせ、盗んだ金は裏長屋のボロボロに破れた障子の隙間から投げ込まれ去って行く、貧乏人の救世主に仕立て上げることで、ねずみ小僧を義賊扱いし、手も足も出しようがない大名に拍手喝采したのであった。
実際には、ねずみ小僧は義賊ではなく、後の稲葉小僧新助の話と抱き合わせで義賊像を作り上げたのであったのだが・・・。
国定忠治(江戸後期の博徒)が英雄となって講談や芝居で扱われたのも、赤城山で代官を相手に立てこもって戦ったことが江戸庶民の共感と支持を得たからであった。武蔵もどこの大名にも仕官できず、生涯浪人の身で果てたことに対する同情と美化を、佐々木小次郎を親の敵(かたき)とし、武蔵が巌流島で立派に敵討ちを果たしたとの意訳として語ることで、ねずみ小僧と同様の人気を得たのであった。