合気道の源流について(上)
鶴山先生は、昭和35年(当時32歳)に有楽町の産経道場で植芝合気道を学びました。それ以前、大学時代にはボクシング、その後空手、杖道を経験しており、特に杖道は奥免許のレベルに達していました。先生は、植芝合気道に出会ってから、その源流を探すべく調査・研究を始めたのでした。その過程で大東流を知り、合気道技法と大東流合気柔術(江戸柳生系)との類似に気づいたのでした。今回紹介するのは、このことについて、さらに調査・研究を進めていた頃のメモです。
先生は、このころ既に大東流の創始者は武田惣角であるとする説に疑義をもたれていたようですが、調査に行き詰まり、目くらましの伝承を受け入れるしかなかった、とメモの冒頭に記載されています。昭和52年久琢磨から免許皆伝を受けた際、驚愕の事実を聞かされるまで、先生はその秘密を知るよしもありませんでした。
合気道の源流について
大東流というと、武田惣角源正義が伝えた「新羅三郎義満が伝えたもの」とする伝説がある。
この考え方で、大東流柔術5か条118本を分析してみても、納得が出来なかった。また、その実体は誰も判断が出来ていなかった。といって、完全にまとまっているこの体系を惣角一人で組み立てたものではない(惣角といわずとも、誰か一人の人間が整理できるものではない)ことは、明白である。しかるが故に、やはり新羅三郎説をとらざるを得なかった。