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合気柔術の技法23

柔術は小野派一刀流系で代表技法が四方投、合気柔術は柳生新陰流系で剣の理合に基づく技法。例えば、2か条の技は、刀法の姿勢と負荷(斬ったときの手応え)であることを具体的な技で説明した。大坪先生は小手返を知っており、大東流をやったことがあるので、一般人より理解が早かった。ここで私が知らないことを知らされた。松平容保は水戸藩徳川氏直系で、江戸で生まれていて、11歳で会津藩松平家の養子になり江戸にいた。西郷頼母とはあまり年齢差がなかった(5歳違い)が、頼母は容保の教育係であった。

昭和59年日本武道館の古武道大会のパンフレットに時宗の名前で「大東流は松平正之から会津藩主がこれを継承し容保から西郷頼母、そして武田惣角に伝承された」とある。明らかにおかしい。

公武合体を目指す中で、軍事総裁になった容保の役割の一つに諸藩武芸の統一があった。日新館において3大技法の体系化、階級に応じた武技の分担のための分類がなされ、公表の機会を待つのみであったのだ。この辺の説明を大坪先生も認めていた。江戸柳生と大東流合気柔術関係、だから浅野中将や竹下大将が夢中になった、いわれがあるのである。

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