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大東流合気柔術-攻撃太刀之事(下)

形を正しく覚えさせるためには、形を習得させる興味の持たせ方にある。口伝・極意と称するものは、悟るに難しいものではなく、習うべき人の身体の癖や得意技をどう形の中で納得させるかである。初伝は誰でも出来る形であっても、中伝以降になると特別のポイントを必要とする。これは後継者造りのためのもので、師弟の許しの中で行われる。誰にでも教えれば、流派の維持は出来なくなる。一流一派存続に関係あるノウハウ的な役割を持ったものが口伝・秘伝なのである。綿谷氏は全くそのことを知らないから、次の如く述べている。 

しかし、口伝ということになると、後継者がそれを正しく理解したか、どうかが問題であり、二代、三代を経過するにつれ、どのような歪曲が生じるか、わからない。いわんや卜伝の「一つの太刀」のように「唯授一人」といって一代にただ一人の後継者にしか伝えないようなばあいには、他に比較する材料がないから、恣意や曲解が入りこんでも正すことがむつかしい上に、後継者に伝えないで死ねば、その口伝は雲散霧消してしまうわけである。

 さて、武田時宗氏は大東流の極意は「一足一刀」であると父惣角が言った、と語っているが、これは大東流柔術、すなわち小野派一刀流系の基本理念であって、新陰流兵法を基本理念とする江戸柳生系合気柔術のものではない。江戸柳生系合気柔術は勢法にあるとおり「一つの太刀」を破る技法なのである。柔術に勝つ技法が合気柔術という構成なのである。

ところで、堀川幸道の合気柔術の中に、久琢磨のと同じ技がある。これが江戸柳生系合気柔術からでた技法かどうか、小野派系柔術では足を踏む、足を押さえるという技法はないはずなのだが・・・、今後の研究課題である。(完)

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