秘伝・合気道 堀川幸道口述 鶴山晃瑞編 8
これから第1章を紹介します。なお、この連載の1で「②鶴山先生は、この時期は皆伝前であり大東流の全容を把握していなかったこと」と記載しましたが、この点を考慮し適宜解説を付して紹介することとします。
1合気道の歴史
昭和の初期から合気道を習われた一流の諸先生は、合気道の実像、由来をよく認識され、「合気道とは新羅三郎が伝えたもの」であることを書かれておられます。それが戦後の合気道指導者の中には、この辺の実情について予備知識がないのか、「合気道技法の伝承は新羅三郎から」と主張されない方もおるようでございます。そのことから戦後に師範になられた方は研究が浅いのだなと、私なりの判断をいたしておりますが・・・。(続く)
解説 鶴山先生が分類する戦前派・戦後派の諸先生方、このうち戦前派の先生方は大東流合気柔術が合気道の原型だと認識し、大東流合気柔術の伝承から新羅三郎のことに触れているのです。
この伝承とは、久琢磨が紀元2600年(昭和15(1940)年)「皇紀(神武天皇即位紀元)2600年」のこと)に発行した門外不出大東流合氣武道秘傳(「惟神の武道」かんながらのぶどう)の大東流合気柔術略伝の項に「大東流は、清和天皇第六皇子貞純親王より始まり、代々源氏家に伝わり、新羅三郎義満に至り、従来の家伝の術に加うるに、更に一段の工夫をこらし、当時戦役にて戦死したる兵卒の死体を解剖して、その骨格の研究をなし柔術極め手の学理的研究をなすとともに、女郎蜘蛛の網の上にて、獲物と戦闘しついに雁字搦め(がんじがらめ)取る手練を、目撃して暗示を受け、合気の真理を発見し、合気柔術の極意を極めた、これより新羅三郎義満はこの大東流合気柔術の始祖として尊敬されるに至った。爾来(じらい)代々武田家に伝わり、武田義清-武田信義-武田信光-武田信満-武田国継-武田内匠守(たくみのかみ)と伝わり、現在の武田惣角源正義に伝わったものである。」とする、保科近悳(ちかのり、旧会津藩家老西郷頼母)が惣角のために創作した伝説のことです。免許皆伝の久琢磨がこの表向きの伝承(皆伝書等の伝書に記載されている系譜)を尊重し公表したことから、定説化されたのです。しかしながら、この伝承は皆伝の口伝とは全く異なるものでした。鶴山先生は、「久琢磨先生より皆伝のときこれを伝えられ、その後数年間は、大東流が新羅三郎から武田家代々に伝へられた秘伝秘技であるとの期待が全くのデマ事であると知って、事実の前に愕然とした。」と記録してあり、久琢磨先生は『僕には、師を越える勇気がなかったが、君ならできると思う。大東流技法発生の秘密の解明は君ならできると思う。』と語ったとのメモがあります。
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