秘伝・合気道 堀川幸道口述 鶴山晃瑞編 6
(承前)菊五郎が大東流合気柔術の達人であった武田惣角先生と初めて出会ったのは、この空前の演劇競争の真っ最中で、しかも千秋楽の数日前のことでありました。
当時、赤坂に住んでいた松坂屋呉服店(現在の松坂屋デパート)主、伊藤次郎右衛門(十四代目)氏宅での出稽古が終わっての帰り道、市村座の前を通りかかると数十本の「のぼり」が春風にはためいておりました。呼子が声をからして、勧進帳の呼び込みをやっておりました。これを聞いた武田先生はめずらしく芝居見物をする気になったのであります。
さて、ここで、ご存じない方のために「勧進帳」の筋書きをお話ししておきます。なお、演題の勧進帳とは、寺社,堂塔の建立,修理のため寄付金をあおぐ趣旨を記した文書のことで、演目では、弁慶は消失した東大寺再建のための勧進をしていると称しています。
源義経一行が山伏姿となって、武蔵坊弁慶を先達として奥州に落ちのびて行く途中のことであります。加賀国安宅の関の関守であった富樫左衛門に、とがめられるのでありますが、ここで弁慶がニセの勧進帳1巻を読み上げて、苦心の末関所の通過を許され、山陰まで来て休息していると、富樫が家臣に酒を持たせてその後を追ってくるのであります。弁慶は富樫のふるまい酒を飲み延年の舞を舞って富樫の酒の相手となります。その間に義経一行を先に行かせ、難を救うという物語であります。舞台の弁慶は幕が引かれてから花道に出て、六方を振って義経一行の後を追い引き込むのであります。
では、武田先生と六代目菊五郎の出会いの話に戻りましょう。
義経を先に4人の供が付いて舞台の脇へ引き込むと、弁慶は笈(おい)を背負い、金剛杖を持ち、富樫に辞儀して立ち上がり、虎の尾を踏み、毒蛇の口をのがれたる心地して、陸奥の国へぞ下りける(長唄囃子)。と、弁慶は花道まで出て、舞台は富樫が見送り幕となる。弁慶は幕外でキッと大見得を切り、大太鼓。飛び去りて、六方を踏み花道引き込まんとする途中・・・
「菊五郎!残念だが、六方が足りん!!」と腹の随まで響く力のこもったヤジが飛んできたのであります。意表を突いたこのヤジは菊五郎の胸部をぐさりと突き立てるような衝撃を与えたのでした。花道から引き込んだ後も尾を引き、休息した途端全身に冷や汗が吹き出した、とのことであります。
菊五郎はその一言が気になって仕方ありません。三座対抗の勧進帳争いが、主演俳優の面子を掛けたものだけに、菊五郎自身全身全力をかたむけて頑張ってきたものの、演劇評論家達の新聞評が幸四郎に勝ち目をあげており、その役柄に気の迷いが起きかけていたところ、惣角にその虚を突かれたのであります。次の出幕の扮装をしながら、どうしても「六方が足りん!!」とヤジられた言葉が頭から離れません。(続く)
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