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第2代講道館長=南郷次郎の問題意識

講道館柔道の創始者、嘉納治五郎は昭和13(1938)年5月、カイロで開かれたICO総会に出席後、柔道普及活動を行っての帰路、氷川丸の船内で肺炎により亡くなりました。
同年第2代目の講道館長になったのは、治五郎の甥であった南郷次郎(海軍少将)でした。
南郷館長は少年部、女子部の強化、海外普及など尽力されました。講道館のバッチを作ったのも南郷館長だそうです。

南郷館長は昭和14年に高等柔道教員養成所を開設しました。このとき神道夢想流杖道の清水隆次範士が南郷館長から呼び出され、次のとおり申し出がありました。「今日は少しお願いしたいことがあるので、お出でを願ったのだが、実は今度高等柔道教員の養成所を作りましたが、その科目の中に杖道を採り入れたので週に2回あて教えに来ていただきたい。」
南郷館長は「現在の柔道の練は、初めから互いに袖を取り合って技を出し合いますので、そこに間合がない。元来勝負を争うには一定の間合がなくてはならない。間合のない勝負はあり得ない。私は海軍軍人である。海軍の戦いには間合が最も必要である。地球は丸いものである。遠くから肉眼で敵艦はわからないが、望遠鏡をもって見ればハッキリ分る。そこで大砲で敵艦を撃つ、敵からも撃って来る、互いに撃ち合って接近する。そして肉眼でハッキリ分かるようになったときは、勝負の大勢は決まっている。この大切な間合を知るには何か物を持って練習することが一番よいと思う。それには杖が一番良いと思う。このような訳で四段以上の生徒に間合というものを判らせる必要上杖道をやることに決めたから、そのつもりで皆に杖を教えてください。」と依頼したのでした。清水範士は快諾したそうです。

このことに関しては、富木謙治も「柔道は短刀を持ったヤクザに全く役立たないと警察関係者より問題が提起され、私(富木)らが中心となり、現在の柔道の裏技(護身術)ができた。」と語っています。

また、治五郎は「柔道は柔道だけのものでなく、武道はすべてが柔道でなくてはいけない。相手が刀、棒その他の凶器をもって打ちかかってきた場合、素手では不利であるから、どこの家でもステッキや棒の一本ぐらいはあるからあり合わせの物を持って相手の凶器を打ち落とし、接近したら直ちに柔道の技で投げ、押さえてこれを制する心構えが欲しい。」とよく話されていた、そうです。

南郷館長は「戦いの秘訣は間合を知ることが大切だ。」と述べていて、柔道の練習だけではこれを体得できないとの問題意識を持たれていた慧眼の持ち主だったのです。

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