![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/76745084/rectangle_large_type_2_cd04e57201dc2b4080084127ec0535be.jpeg?width=1200)
新陰流考4
勝海舟の話をまとめた「氷川清話」の中に、宗矩と武蔵を比較している話が載っている。
柳生但馬守は、決して尋常一様の剣客ではない。名義こそ剣法の指南役で、極低い格であったけれど、三代将軍に対しては非常な権力をもっていたらしい。全体誰でも表立って権勢の地位に坐ると、大勢の人が終始注意するようになり、したがって種々な情実ができて、とても本当の仕事のできるものではない。柳生は、この呼吸を呑み込んで居ったとみえて、表向きはただ一個の剣法指南役の格で君側に出入りして、毎日お面お小手と一生懸命やっていたから、世間の人もあまり注意しなかった。しかしながら、実際この男に非常の権力があったのは、島原の乱が起こった時の事で分かる。島原の乱の時、注進が幕府に来ると、将軍はすぐに板倉内膳正に命じて征討に向かわしめられた。ところが、柳生はこの時ちょうどある大名に招かれて、ご馳走になっていたので、一寸もこのことを知らなかったが、その席に来た他の大名が、島原征討の役目を内膳正に仰せつけるのは、人があまりに軽すぎるといって、非難しているのを聞いて、始めてそんな事のあったのを知って、大変に驚いて、その大名の馬を借りて、直ぐに内膳正を追いかけて六郷まで行ったが、とても及ばないと覚って後戻りして、すぐその足で将軍の御前に出で征討の将がその人を得なかった事をひどく諌言したということだ。全体将軍が、已に厳命を下して江戸を発たせたものを、僅か剣道指南位の身分で居りながら、独断でもってそれを引き留めようというのなどは、とても尋常のものでは出来ないことだ。おれはこの一事で、柳生が将軍に対して、非常な権力を持っていたことを見抜いたのだ。およそ歴史を読むには、こんな所に注意しなければ、事実の真相は分からない。いわゆる眼光紙背に徹する(*)というのは、つまりこんな事さ。
*眼光紙背に徹する:書物を読んで、字句を解釈するだけでなく、その深意までもつかみとること。