合気評論27
大東流中興之祖と仰がれている武田惣角先生は、合気道の創始者と自称する植芝盛平先生の大先生であります。合気道界では、植芝先生を開祖といい、武田先生からは3か月しか教伝を受けなかったと、故意に表面に出さないようにしています。朝日新聞社の要職にあった久琢磨氏は最初、植芝先生について合気武道を学んでいましたが、さらにその先を研究するため、武田先生の大東流の直伝を受け、免許皆伝に至っています。植芝先生は「さらにその先」は知らなかったということになります。
会津若松藩藩士武田惣左衛門の孫として生まれた惣角先生は、幼少の頃から武術の修行に励み、18歳にして二刀流の免許皆伝を受けたと聞きます。更に小野派一刀流及び真蔭流剣術を学びいずれも免許を受け、武田惣右衛門から家伝の大東流合気柔術を学びその相伝を受けたのです。その後、全国を武者修行し試合をして歩き、この術の研究を重ね、工夫を加え大東流合気柔術の完成を見たのです。昭和18年に客死するまで八十有余年の生涯を旅を重ねて武術の研究と普及に捧げた先生でした。
武田先生の数多い武勇伝の逸話は、合気道界では盛平翁の伝説と混同されて伝えられています。武田先生は英名録を常に携行しており、他流試合についても、相手に何年何月何日、試合して敗れたと記帳させ記録していました。この英名録は現宗家第三十七世武田時宗氏のもとにあるはずであり、この記録を公表すると各武道界に大変な話題を提供させるものとなっています。