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大坪指方先生のこと15

昭和60(1986)年9月21日(土)鎌倉の額田記念病院に、稲益氏とお見舞いに行った。稲益氏は2回目である。先月末にお見舞いに行ったときは、丁度リハビリが始まった頃であった。今日はどの程度効果が上がったか、二人で行って判るか等に関心があった。これからは、大坪先生との交流の写真も重要になる。カメラを持参したので病院前で一枚撮ってもらった。

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大坪先生の口伝
・上段のとき、船頭の竿ではいけない、猫の尻尾でなくてはならない
   (胸を広げ斬ること)
・綾を切るのは「シャン、シャン」取り上げは3回下からは1回半
・琴の糸
・無刀の間
・新陰流兵法に受け太刀はない(当たる、流す、払う)
・足先を上げるのは畳の縁を踏まぬため
・右手の人差し指は伸し、左拳はしっかり握る
・二十七箇條斬相、3×9=27の刀法は、構えて序、当たって破、
   一拍子にて急とする真剣を持って練習する勢法である。
・いついかなる場合でも、自己の思うままに27の斬相を使えるように
    鍛錬すべきである。
・折甲、刀棒、相打の三本は十字手裏剣にあり、神妙剣に通ずる

大坪先生から受けた太刀の持ち方は、「右手の人差し指は伸し、左拳はしっかり握る」であった。先生は「昔、十兵衛はこのことを立証させるため、刀の鍔を赤銅でこしらえた」と語った。小野派系でも他流でも人差し指を伸していると斬られるからダメだと必ず注意される。「右手の人差し指は伸」す理由は、①右腕の力を抜くため、②刀の伸びを確保するため、③体術として力を減殺させないため、である。

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