合気柔術・新陰流考4
現在、横浜ACCで新陰流兵法の研究を始めた。大東流の研究が終わって、合気柔術は新陰流が基本理念になっていることを確信してから、合気柔術の真相解明のためにはどうしても新陰流の技法を完全にマスターしなければならないからだ。四方投は柳生十兵衛が最も得意としていたとされる逆城郭勢の構えそのままだし、九箇之太刀の和卜(かぼく)なども太刀取りとして活用されている。執刀法から始まって多くの口伝が気軽に合気柔術に取り入れられている。江戸柳生の特色は最後までお目付役的な役割を果たしていたのではないかと思われる。江戸柳生系合気柔術(合気道の源流)の中で新陰流技法のすべてが許されていることも無関係ではないものと思う。
幕末期に江戸幕府の軍制改革の一環として講武場(後の講武所)を創設し、剣術としていわゆる撃剣を採用した。これは公武合体にとりこまれることになるが、上級武士向けの剣術でないとの新陰流兵法的な判断が働いたものであろう。
補足説明
鶴山先生の新陰流兵法の研究も徹底(これを裏付ける多数のファイルがあります。)していました。後学の我々から見ると不十分な点とその分析研究結果のすべてを首肯出来るものでもありませんが、目的意識がはっきりしているため筋の通ったものとなっています。例えば、一般技(1~4か条)と基礎技(四方投・小手返・回転投・入身投)のそれぞれに新陰流兵法の構えとその使い方を当てていて、またそれぞれに関連勢法が示されています。こじつけの感なきにしもあらず、というところですが鶴山先生が考えていたことは理解できます。
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