合気道と合気柔術4
合気道は相手に反射神経を起こさせては駄目である。反射神経を起こさせないように技を仕掛けていく、しかし、本部系の植芝合気道では全く判っていない。「愛と和合」「争わない武道」などと宣伝しているが、その意味は攻撃者がいない、ということである。武道なら、攻撃者がいてこれを合気(陰の合気)で捌くのである。例えば、古武道である内家拳の太極拳は、外家拳の少林拳を攻者として組形を設定している。新陰流なら新当流を攻者としているなどである。ところが、植芝合気道は異質なものである。相手はいるが攻者(=敵)ではない。技(といえる程のものではないが)がやりやすいように攻者は協力者になるのである。海外の合気道の本にも書かれている「和合の精神」「愛の武道」という合気道感で、敵はいないのである。協力し合う関係をもって、武道ではない何かになった。
武道の本質は、敵に勝つがトドメを差さない、ここに武士の価値観・倫理観・道徳観があるのである。敵対我の関係において、敵は殺の心を持って攻撃してくるものを受け勝つのだが、中国拳法(内家拳)の如く受け流してから攻撃するというものではない、もっと高度なものでなくてはならない。
そこに高度な倫理観を持つ日本の武道精神が発揮されるのである。植芝合気道のものは同じ倫理観でも武士社会のものではない、いわば庶民の宗教で指導者のそれではないのである。
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