沢庵和尚2
さて、宗矩と沢庵が出会ったのは、沢庵が浄土宗から禅宗に変わった秀喜時代であり、修学のため雲水として外に出ていた時代であろう。一方、又右衛門は24歳までの間、柳生の郷を拠点に修行を続けていた。
秀喜(沢庵)は宮津から一里ばかり、切戸の文殊堂に回るため小高い丘に立ち天橋立を眺めていた。そこへ切緒のわらじに野袴をつけた若い武者修行者が上がってきた。
「これは何と絶景じゃ」と若侍はしばらく感嘆して立ち尽くしていた。
それを見た秀喜は「拙僧は但馬の者でござるが、お武家はどちらのお方で・・・?」と親しそうに聞いた。
「拙者は大和の者でござる。」
「ほう大和!大和は都の地でござるな!この辺には何の御用でお越しでござる。」
「あちこちと、武術の名人を訪ね歩いております。」
「されば、今の世に名人上手といわれるお方は、誰でござるか?」
「まず、上州の上泉伊勢守でござろう。父の代から伊勢守の門生でござるが・・・」
「ほう、さようか?伊勢守という人は、そんな名人でござるか。ついては、もう一つ、不躾ではあるが・・・貴殿は、一体天治の剣を修行されているのか、諸公の剣を修行されているのか、それとも凡夫の剣を修行なされるか、そのいずれでござるか?」