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合気柔術とは(上)

鶴山先生の講習記録のメモです。内容的には既述の記事と重複した部分もかなりありますが、そのまま紹介します。(全3回)

昭和62(1987)年第1週は「合気とは何か」のテーマで、絶対に相手を掴まないで第1か条から3か条まで手掌捌きだけでやり、合気とは極め技でないことを説明した。
第2週は15日(木)が祭日で横浜ACCは休みであったが、表題の合気柔術について説明した。
徳川時代4,000余の武芸流派があるが合気柔術の名称を使う流派は無かった。柔術は気合・有声、無声である合気とは違うものであることを説明した。
柔術という言葉は江戸中期から知られるようになり、このころから武士は文武両道の達人を目指すようになる。中国文献も知られるようになり、武芸十八般も整備された。幕末期、天神真楊流などの流派が起きたころには、捕方武術と武家武術の分化、サムライの裏芸として柔術が位置づけられた。
合気・柔術の柔術は気合術であって、現代の柔道・剣道・空手等が重視する気合と同じである。気合の鍛錬には若さが必要で、若いうちに鍛錬することで成長できる。宮本武蔵の千鍛万練(*)は若い人のみ通用する言葉である。
*五輪書「水の巻」の締めくくりの言葉「日の稽古をとし、日の稽古をとす。能々吟味有るべきもの也」から

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