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武田時宗・宗家独占インタビューについて28

武田時宗『武田惣角見聞記』を読む6
(承前)今日でも柔術諸流派の人たちの中には、講道館柔道が発生した社会事情を知らずに講道館柔道すなわちスポーツ柔道として悪口する人が多いが、近代ヨーロッパ思想の洗礼を受け、当時の体育事情を直視した嘉納治五郎氏にとっては、これは当然すぎることではなかったろうか。まず、有名なベルツ博士(ドイツ人東京医学校(後の東大)教師:近代西洋医学の父)の声を聴いてみよう。

「当時の若き青年層及び教師たちはただひたすらヨーロッパの学問を遮二無二学び習い覚え込むことにのみ専念して他を顧みなかった。帝国大学の学生といえば貧乏じみた栄養不良の過度の勉強に衰弱しきった青年たちばかりであった。彼らはその知識欲から全く文字どおりの徹夜をして勉強することが多く、ために身体的休養や身体的訓練を得る暇とて到底なかったという有様であった。運動場及び体育館設立のため私は当局に向って尽力してみたがダメであった。」

講道館柔道は、こうした社会に体力作りのため発生したものであり、スポーツも今日のように普及せず夜明け前の状態にあったことを考えるべきである。当時の柔術家の中にも正しくこれを理解した人がいた。「…柔術をことさらに体育のために按配したるが故なり、そのいかに真の柔術に異なるところありといえども、これをとがむるは、とがむる者の非のみ」と。

嘉納治五郎氏を近代派の武道家というのは、大多数の体力作りということを目標に術技が考案されたことである。そのために学び易く同時に道統に立脚し生まれた。ただ残念なことは講道館創始以来80年になるのに、当時の社会と事情が変わった(スポーツの普及は天と地の相違がある)に関わらず、術技が変わらないことだ。(続)

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