沢庵和尚18
羽州上山に配流されたのは真夏の7月27日であった。沢庵の知人は名残を惜しんで道の辺りの見送りに薫物(たきもの=香)などを贈ってくれたので、
薫物の香ならば 袖にてならまし 身はゆくゆくも 定めなれど
と一首の歌をその香紙の上に認めた。
沢庵と王室は共に乗り物を並べて北に送られた。玉室は奥州棚倉(福島県)であった。下野(しもつけ)の大田原(栃木県)まで来た、ここは大田原城下から尚一里ばかり手前で、澤田村から東へ別れて棚倉へ向かう分かれ道に来た。沢庵は一偈(げ=詩)を作って王室に別れを告げた。
天分南北両鳬飛(天、南北に別れて両鳬(かも)飛ぶ)
何日旧棲双我帰(いつの日か、元のすみかに二人して帰らん)
聚散無常只如此(集まり散るはかなさ、かくの如し)
世情禽亦有摳機(世情、禽(とり)にも、また、すうき(大切なところ)
がある)
王室も和韻した。
草鞋竹杖傍空飛(わらじ、竹の杖をかたわらに飛ぶ)
旧院何時把手帰(旧院にいずれのときか手を取って帰らん)
水遠山長猶絶信(水は遠く、山は長くしてなお、音信が絶えたとしても)
別離今日己忘機(別離、今日すでに機を忘る)