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合気柔術・新陰流考5

養神館合気道で使っている「臂力の養成」も本来は「非力の養成」である。惣角が話した「ひりょくの養成」を盛平から聞いた柔道出身の富木謙治が「臂力」と漢字を当てたものである。後年、富木氏の話で明らかになったことである。要するに盛平が創始したものは何もないのである。盛平は戦後になり、武道らしさを除いたもの、それが合気であるというようなことを言い始めた。それを聞いた吉祥丸の頭の中では技が創始されたと理解し、そこから生まれたものが吉祥丸の植芝合気道であろう。当時の植芝本部の技は九州の砂泊の技となって継承されている。

戦前の盛平の技法は、新陰流兵法を基礎とした柳生流柔術の初伝技法であり、この技法は塩田剛三が継承してその一部が養神館合気道となり現在に到っている。では、植芝本部の技法は何か?戦前派でもなく、正統?戦後派でもない、亜流の何か、武道ではない何か、吉祥丸も自分自身で理解の外にある、ということであろう。

補足説明
大東流合気柔術の体系上では初伝の中に含まれていますが、基本技(一般技、基礎技及び合気投)に入る前の基礎動作の一つとして「非力の養成」があります。いくつかある基礎動作を総称して「呼吸鍛錬法」といいますが、その核心部分は足腰の鍛錬と重心の移動を覚えるための「非力の養成」なのです。これはnote既述のとおり新陰流兵法の猿廻そのものです。新陰流兵法の極意は「左右の猿廻」と「神妙剣」であるとされています。「神妙剣」は剣の使い方そのものというものですが、「猿廻」の本質は体の使い方にあります。この「猿廻」の単独稽古法とその展開法を江戸柳生系合気柔術では継承しているのです。(完)

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