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藤平光一氏の功績と独立

藤平光一氏は、昭和44年に植芝盛平から49歳にして合気道十段を授けられた俊英で、植芝総本部の技術部門の師範部長として、またアメリカ各地などでの海外指導にも尽力し、合気会を事実上仕切っていました。武道界の人たちを招待した合気道十段の披露パーティーをしたことでも有名です。当時、その若さで十段ということに、武道関係者は一様に驚いたとのことです。

さて、藤平氏は昭和34年に合気道総本部師範部長九段の肩書きで「写真解説合気道」を出版しました。 
鶴山先生によると、①植芝盛平が言う「みちびき」を「気の流れ」「精神の調和」と新解釈し、戦後混迷していた精神面に新しい息吹をあたえたこと、②植芝盛平を神格化したこと、そして、③王貞治に「一本足打法」を指導した人物として知られている読売ジャイアンツのバッティングコーチ荒川博が有名になったこと(別稿で詳しく紹介)、でこの本は爆発的に売れ、合気道ブームを引き起こしたとしています。

この後、昭和40年代半ば、その藤平氏が欧米各地の合気道関係者あてに
「植芝本部の合気道は『気のない合気道』、私の合気道は精神統一が出来る『気のある合気道』・・・この会の運営は大東流技法を中心として精神の統一法を行う。」との要旨の文章を送った旨、鶴山先生はフランスの友人からの手紙で知ったそうです。
これを見た鶴山先生は次のようにコメントしています。
藤平氏は合気道を「気のある合気道」と「気のない合気道」に分類している。自身が師範部長として、第一線で教えていた合気道技法を「気のない合気道」と決めつけ、今後教える合気道(心身統一合気道のこと)技法は「気のある合気道」と主張しているのである。そもそも、このような分類ができるのであろうか。
海外における合気道組織の権益の確保を目的とした、自分に都合のよい主張をしているだけではないか、と。
ところで、植芝吉祥丸著「合氣道真諦」においても「気」については
項目立てして説明しており藤平氏の「植芝本部の合気道は『気のない合気道』、・・・」という指摘には鶴山先生のコメントのとおり無理があると思います。

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