見出し画像

名人植芝盛平先生の面目2

(承前)昭和の初期、東京に出て小道場を開設して、併せて海軍大学に教授(武道講師:昭和3~12年)せらる。筆者はその頃講道館坂下道場の古武道研究部(古武術の研究・伝承の部)の一員たり。一日、嘉納治五郎先生の命を蒙り(こうむり:恩恵を受け)、永岡秀一(当時九段・後に十段)先生に伴われ、目白台(現文京区)に植芝先生の門をたたく(昭和5(1930)年10月)。以来満2か年有余り、その半ばをほとんど先生の膝下に訓育せらる。
昭和6年秋、静岡市に道場養正館開館の式に当たり、植芝先生は竹下・三浦等陸海の将軍を始め、榎本・伊藤等華族・財閥知名の門人と共に参加して大いに式を盛んにせられたり。
翌一日先生は名所日本平に遊ぶ。その案内に立ちたる者、剣道教士の小倉孝一氏以下柔道の有段者七、八人なり。帰来して小倉氏感に堪えざる顔色にて筆者にいう。いわく…
「君はいい先生を持ったなあ!私は今日こそ真の人格者とはかくの如き人をいうのか、と肝銘(心に刻まれて決して忘れない)正に深刻なるものがあったよ。」と言いて、次の如き経緯を語った。(続)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?