第3回友好演武大会(上)
昭和62(1987)年9月6日によみうりホールで開かれた合気ニュース主催の「第三回友好演武大会」に関する鶴山先生の所感です。
この大会は雑誌『合気ニュース』の主催する演武大会である。
この第1回は昭和60(1985)年に開催され「開祖を偲ぶ」という冠が付けられていた。五月女貢・小林保雄・斉藤守弘などの戦後派の師範による演武大会であった。
第2回は昭和61(1986)年に開催され同じく「開祖を偲ぶ」という冠が付けられていたが、戦前派の塩田剛三(養神館)・望月稔(養正館)が登場し、また、戦後派の斉藤守弘(岩間道場)・清水健二(天道館)が出るという本部道場抜きの戦前派・戦後派合同の演武大会であった。この構図は私(鶴山先生)の『図解コーチ合気道』の内容を反映したものである。
そして、第3回は明らかに『図解コーチ合気道』を意識したものである。大東流合気柔術・鹿島新当流・柳生心眼流・岩間流合気道という内容である。冠も「ルーツをたどる」に変更された。主催者の意図は、大東流合気柔術や柳生心眼流が合気道にどう影響したのかの題材提供(研究発表)だったのである。
この演武大会はビデオとして発刊されており、長野太郎が27,000円(2巻)で買って、コピーを持って来てくれた。鹿島新当流宗家(第64代)の吉川浩一郎氏の説明では、現宗家が明治学園に通っていた時(19歳)、昭和12(1937)年に植芝盛平が入門したとのことである。この時、表太刀を3年くらいやったはずである、という。盛平は髙橋某と二人で入門しており、この人は現岩間道場の元地主である、ということだから大本教の信者ではないかと思う。(斉藤守弘が合気ニュースの対談の中で、岩間道場のスポンサーを調べてみたと語っていた。)