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石田最高裁判事と武道で結ばれた友情1

昭和42(1967)年10月読売新聞北見版に掲載された堀川幸道と石田和外の交流に関する記事を紹介します。
石田最高裁判事とは、石田和外(かずと)氏のことで、後に(昭和44年)、第5代最高裁判所長官に就任しています。昭和48(1973)年最高裁判所長官を定年退官、翌年第2代全日本剣道連盟会長に就任しました。同昭和49(1974)年石田氏の提唱により、町村金吾(自治大臣・北海道開発庁長官)・大塚博紀(和道流空手開祖)・堂垣内尚弘(当時の北海道知事)ら8人の連名で堀川幸道に永世名人位を授与しています。また、最近では、NHKの令和6年度前期に放送された朝ドラ(連続テレビ小説)「虎に翼」の桂場等一郎(松山ケンイチ)のモデルとされる人物でもあります。
 
今から30年前、援農(農業支援:無償もしくは最低賃金以下の謝礼や農産物を得つつ、農家の農作業を都市住民等が手伝うこと)で北海道紋別の農場を訪れた学生に合気武道の極意を教えた師範を、当時の引率者であった現最高裁判事石田和外氏と当時の学生たちが東京に招き、当時を偲びながら暖かく歓談することになった。この人たちの関係は昭和13年ふとしたことから結ばれたが、その時築かれた友情は戦後の混乱期を乗り越え、しっかりと生き続けていたのだった。(続)

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