大東流の奥伝-ヨギとのドッキング-4
さて、合気道技法を初伝とする躰之術の系統の中伝以降は、一般的概念における武術ではない。基本技で相手を制した後に、相手をひっくり返したり、いろいろな部位を伸したり、押し込んだり、反らしたり、小さく丸め込む必然性はない。これらはすべて、今風にいえば健康体操である。肉体の鍛錬強化を目的とする柔術とは全く違う発想のものである。
柔術5か条118本の極め固めは、文字どおりのものであって、非常に厳しい。制圧動作の習得が目的だからである。小野派系の合気柔術と江戸柳生系合気柔術には見かけが似た技もたくさんあるが、その基本思想に大きな違いがあるのである。これは、どちらが良い悪いという視点で見るべきものではない、その目的と役割が違うものだからである。
同じ「合気」と冠していても、小野派系のものは「陽の合気」江戸柳生系のものは「陰の合気」であり、江戸柳生系合気柔術では「合気陰陽法」と呼ぶのである。「陽の合気」の代表的な使い手は堀川幸道である。
このように江戸柳生系合気柔術の中伝以降は、武術ではない。盛平がこれを習っていたならば、その後違う展開があったかも知れない。
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