気合いについて
植芝盛平の著書「武道練習」技法眞随の中に気合いについて触れている部分があるのでそれに解説を加えて紹介します。なお、「武道練習」については、『書評「武道練習-解説-」』をご参照ください。
「武術にはエイ、ヤー、トー、ハッ等の掛け声がある。この四つに限らず日本人が言葉に出せるだけの掛け声があるはずである。
天地の呼吸に合し、声と心と拍子が一致して言魂となり、一つの武器となって飛び出すことが肝要で、これを更に肉体と統一する。声と心と肉体の統一が出来て始めて技が成り立つのである。霊体の統一が出来て、偉大な力をなおさらに練り固め、磨き上げて行くのが武術の稽古である。こうしてゆくと剣で切るべく仕向けることが分かり、また世の中の武術の大気魂がその稽古の場所及び心身に及んで、練れば練るほど気魂が集まりて、大きな武術の大柱ができる。柳生十兵衛も塚原卜伝もあらゆる古の達人名人の魂が、集まり来たり又武術の気も神の恵みによって全部集まり来るの理を知り稽古に精根をつくすべし。
この人間に与えられた所の言葉の魂を肉身と一つにして、日々稽古して天地の呼吸と合致せねばならぬ。あるときには「エイ」と切り、「ヤー」と受け、「ドー」と離れる。これは同じ力の者どうしは隙がないときには「ドォ」と離れることができるが、一方に隙があれば「エイ」「ヤー」と切られてしまう。
古はかく「エイ」「ヤー」と合し「ドー」と離れ又、エイ、ヤーと結ぶそこにお互いに隙のない揉錬磨を重ねていったのである。かくの如く熱心に稽古の度を重ねるに居たらば、敵と相対したときに未だ手を出さぬ内に、すでに敵の倒れた姿が見える、そこでその方向に技をかけると、面白く投げられる、技は熱心になればかくなるものと信じて錬磨すべし。」
解説 気合いとは精神を集中して事に当たる気勢、またそのときの掛け声とされています。声は呼吸に伴うもの、またその際の呼吸筋は少し意識的に使える、とされています。心身の状況が声に反映する→その声を聴いて→心身の状況を整える、という循環です。気合いの声を発し、その声を聴くことで自らの体勢を整えるのです。聴覚を利用した脳のフィードバック機能の活用とも言えます。本来意識的に集中しなければならないところ、気合いという行為で自動的に集中できる、というのが気合いの効果なのでしょう。
鶴山先生も図解コーチ合気道において、「わが国では、数百年も前から、武術の口伝行為として気合いが認められ、古流武術諸流派を通じて最も常識的な体認行為としてその効果効用は重要視されていたものである。」としています。
なお、この技法眞随については、久琢磨が昭和15年に発行した、大政翼賛武道報国「門外不出 大東流合気武道秘傳」の技法神髄に植芝先生伝書中より抜粋、として転載されています。
次に鶴山先生の気合いに関するメモを紹介します。
「気合いにはいろいろな発声法がある、合気は無声であるが、気合いは有声だからである。気合いは『イエイッ』と書くが、正確には『ヰアヰッ』に近いもので、よく甲高い発声をするが本当は(武道では)現代武道のような気合いではなく『ヰアヰゥ』に近い発声で低く抑えたものである。また、含み気合いといって発声を完全に呑み込んで外に出さない場合もある。むやみに大声を出すのは失声といってしめくくりがなく真の気合いではない。」
解説 『ヰアヰッ』とは、「wi-a-wi-tsu」と発音するようです。日本国語大辞典によると、『ヰ』はもとはwの子音をもったwiを表したが、鎌倉時代までに語中語尾の「ひ」がこれに混同するようになり、またwを落として「い」との区別を失った、とあります。自分なりに発声してみると、確かに『ヰアヰッ』の方が発音時に圧力がかかり、効果が大きいような気がします。