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武田時宗・宗家独占インタビューについて26

武田時宗『武田惣角見聞記』を読む4
(承前)「③「××に強くなる本」式の初等程度の技術書」については、一部の人にとっては有益である、とだけいっておこう。
「④精神面を強調した思想・道徳的なもの」については、最も悪弊の強いものである。歴史家の高柳博士(高柳光寿:國學院大学教授)のような武道に無縁な人さえ致命的な論評を投げつけられている。
独り剣法に限らず、一体技芸とか技術とかの奥義というものは抽象的になるのが常である。そして、かかる抽象論こそ精神的な高級なものの如く思われていたようである。そして、それは特に東洋において然るかの如く見受けられる。
物心一如という言葉があるけれども、この言葉の中には文字どおりの意味(物質と精神は一体である)の外に、物質を動かすものは精神である。故に精神を錬磨しなければならない、という意味が多分に含まれているように考え易い。
これを剣法についていえば、技は末である、心が本である、というように感ぜられる。じかしながら、事実は決してさようではない。技のあるところに心があり、心のあるところに技があるのである。技を磨くことによって心も磨かれ、心を磨くことによって技もまた磨かれるのである。
肉体から精神を切り離すことは観念的にはできる。けれども現実には不可能である。
霊魂が不滅であるならば、肉体もまた不滅でなければならない。心だけあって技を持たない剣法者というは実際にはあり得ないのである。(続)

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