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大坪指方先生のこと2
ヘッダー画像は昭和44(1969)年8月24日電電東京体育館で行われた諸流派演武大会における大坪先生(当時60歳)の演武写真(九箇之太刀の必勝)です。後方右から二人目に久琢磨先生が写っています。小南英一郎(打太刀)の後方には鶴山先生もいます。
さて、ここで大坪指方(本名=元治)先生の略歴等を紹介しておきます。
大坪先生略歴
明治39(1906)年 旧旗本大坪家嫡男として東京に生まれる
大正9(1920)年 柳生新陰流兵法碧榕館(へきようかん)入門
尾張柳生第13代厳周(としちか)の指導を受ける
昭和7(1932)年 下條小三郎氏創設の檪山館 師範となる
昭和8(1933)年 東洋大学地歴科卒業
海軍省入省(海上護衛総司令部に勤務)
昭和26(1951)年 第14代厳長(としなが)より第8代柳生厳春直筆の
印可相伝書の下書きに添状を付したものを授与される
その後、江戸柳生家の史料(数百種といわれる)の管理、その他
古流史料の研究を行う
昭和40(1965)年 柳生芳徳禅寺橋本定芳老師とともに、柳生正木坂剣禅道
場を創建し、師範となる
昭和46(1971)年 東京教育大学武道学科で古武道講座の講師となる、同大
学の閉学、筑波移転まで約7年間講師を務める。
昭和51(1976)年 鶴山先生の朝日カルチャーセンター合気道教室の講師
(講話担当)を務める
平成4(1992)年 10月18日没 飯田橋 称名寺に眠る
↑ 大坪先生の座右の銘です。