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武芸十八般(下)

1712(正徳2)年に「三才図会」を翻案した「和漢三才図会」が刊行され、この中では、白打(はくだ)が柔術と同じ意味で使われています。また、享保年間に「水滸伝」の翻訳が始まり、全訳が完成したのは1757(宝暦7)年とのことです。

その後、1806年(文化3)に平山行蔵が「武芸十八般略説」を著しました。平山はこれまでの分類とは関係なく、日本特有の武術のうち戦場でも平時でも役立つものを選んだとして、次のものを紹介しています。
1弓=木弓、2馬=騎射(騎上組打を含む)、
3槍=飛鎚付(ひっつい=錘(おもり))、4鎖鎌=(分銅鎖、虎乱杖)、5眉尖刀(びせんとう)=(小薙刀)、6大刀=野太刀(のだち)、長巻、
7抽刀=居合術、8銃=鉄砲、9弩(ど)=大弓、10李満弓(りまんきゅう)=鯨半弓(くじらはんきゅう)、駕籠弓(かごゆみ)、11刀=剣術、12青竜刀=大長刀(おおなぎなた)、13戟(ほこ)=十文字槍、14鉋(ほう)=佐分利槍、
15鏢鎗(ひょうそう)=投槍、16棍(こん)=棒術、
17鉄鞭(てつべん)=鉄扇又は十手、18拳(やわら)=柔術

今日の整理の一つ、筆者の手元にある現代世界大百科事典(1973(昭和47)年)には、武芸十八般とは、剣、槍、短刀、手裏剣、抜刀、含針、薙刀、鎖鎌、錑(もじり)、十手、棒、柔、弓、馬、砲、捕手、水泳、隠(しのび)の各術とあります。

柔術に関しては、1世紀ごろ後漢「漢書」の一篇「芸文志(げいもんし)」に手搏という記載があります。1853(嘉永6)年に土浦藩士野崎原造が書いた「新心流柔書」には、手搏について「15世紀中ごろ室町幕府の第6代将軍足利義教の時代に中国(明)から伝来したが、教え難く学びにくかったので、流布せず」とあるそうです。

1724(享保9)年に近松茂矩が書いた「古今武芸得失論」では、「拳法、柔術、組打の三術は大同小異であるが、主意は大いに異なっている。すなわち、拳法は当身、請身を用い、自力の強さで勝つ術であり、柔術は微力をもって強力に対する術で、組打は甲冑の上での拳法である。」と規定しています。

なお、武芸という言葉は、8世紀末の「続日本紀(しょくにほんぎ)」に704(慶雲元年)年6月「勅、諸国兵士(略)毎番十日、教習武芸」とあり古くから使われているものだと分ります。

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