
お陰で受けた朝日の光-合気道5
(承前)特に石井先生から勧められ紹介された植芝盛平先生に就いて合気術という関節の逆極め技を特長とする勉強鍛錬に努めた。何ごとにも熱中する性分の私は、植芝先生とその高弟一門を自宅に迎え寝食を供にして習練に努めたのであった。単に逆極柔術を習練するにとどまらず、この秘伝を後世に残すことを思い立ち、その技を一つ一つ写真に写して技法の解説をつけることを始めた。また、この秘術を映画に残しておきたいと写真部に頼み、自ら映画監督となってフィルムを完成した。(続)
補足説明:昭和7年大阪朝日新聞社庶務部長に転勤した久琢磨氏あてに、東京朝日新聞社の石井光次郎業務局長から「庶務部長になったからには、警備課員を育成するのも君の務めの一つである。ついては東京できわめて優れた武術家・植芝盛平氏と懇意になった。植芝氏の合気柔術は警備課員の育成には、もってこいの武術である。植芝氏も大阪に行くことを快諾された。迎えて合気柔術を習得せよ。」との手紙が届きました。当時の植芝盛平は前年に「皇武館」道場を竣工させ、気鋭の柔道家など血気盛んな弟子を「地獄道場」で鍛えていた全盛期でした。こうした中、植芝の名声を聞きつけた石井が植芝の知遇を得て(技を掛けてもらったとも)紹介したのでした。
久は、昭和8年ごろから植芝を迎え大東流合気柔術の指導を受け始めました。熱心な門人であった久は、植芝から習った技を写真に撮って、説明を付け記録保存することを思いついたのです。これが有名な総伝11巻と略称される有名な写真目録「大東流合氣柔術總傳」です。第1・2巻が天の巻、第3~5巻が地の巻、第6~9巻が人の巻とされています。なお、第1~6巻までが植芝盛平に習った技、第7~9巻が惣角直伝の技です。また、昭和10年には自ら監督を務め記録映画「武道」を制作しています。この映画は、一時所在不明となっていましたが、40年後に合気ニュースのスタンレー・プラニンが発見し、上映会も開催されています。