大東流誕生期の人間関係(下)
長州人は、一面で勇猛果敢に変革に体当たりすることがあるが、その反面、権力を握ることに固執する点が特徴的である。このうち維新政府の座についたのは、木戸・伊藤・山県・井上であるが、明治藩閥政治を長きにわたって牛耳った伊藤以下3名は権力の座につくと、以外に計算高く、権力への執着執念はまことに恐るべきものがあった。少壮志士の頃の変革の意気を権力維持の老獪な計算へと急変出来る点に長州人の人間的特色がある。これは西郷隆盛の引き際と対比すれば明らかである。
現代人では、自民党の岸信介・佐藤栄作兄弟(山口県現山口市)、日本共産党の宮本顕治(光市)、野坂参三(萩市)、それに同党を除名された神山茂夫(下関市)がいる。これらに比べると、会津の人間は中央権力の座に就いたことがない、長い間の宿命か権力維持にはあきらめが早い人たちである様だ。
会津藩の役割が伊達藩の前で後ろを固めるという地方大名的な伝統、しかも、これも自主管理ではなく常に中央政権である幕府の下での行動であったから、長州の如く中央政府に転出しようという気持ちは毛頭ない。東北人特有の雪国の忍耐だけの行動であったようだ。大東流のもととなった新武術もこのような環境の影響を受け生まれたものだ。(完)
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