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槍と合気道4

塩田剛三(現在養神館々長)氏は、昭和7年大日本武道宣揚会が発足(出口王仁三郎の要請による)したとき、新宿若松町の本部道場を父親と見学し、昭和9年(当時19歳)に内弟子となり昭和16年まで修行した。その塩田氏が最近出版した『合気道入門(永岡書店)』の中で次のように述べている。

合気道の起源によると(16頁)・・・
「合気道は、日本にある武道の中では、最も新しい武道で、今は亡き武道の名人、植芝盛平先生が戦後になって新しく発表されたもので、日本古来の武術の中から、それぞれのエッセンスをとり出し、それに先生独自の研究を加えられたもので、精神・技術両面からみて、今日の時代にマッチした武道といえます。そしてこの技の中には、国宝級との折り紙つきの大東流合気柔術の研究成果が大きくとりいれられています。」

このように、戦前派である富木謙治(昭和2年植芝門下に、昭和11年に赴任、後満州国建国大学助教授)氏と塩田剛三氏は「合気道とは、大東流合気柔術の影響が多大である」と明言しています。両者の見解は基本線一致していますが、その主張にはニュアンスの違いもあります。

それは、大学教授(体育)であり、武道評論家(柔道・合気道・体育武道)でもあった富木氏は「合気道の技法は、大東流合気柔術を原典としたもの」と、事実資料に基づく学者特有の冷静な観察眼で分析し、それを明解に表現している。一方の塩田氏は、内弟子生活が長かったせいか、多分に情実的な説明になっている。

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