戦国時代の金銭事情(中)
戦国乱世の中で、領主の交替、無法者の横行、政治不信からくる混乱の中で、利息も高利となるのは必然であった。泰平の時代なら法の力も強く、元利の保証もあるが、乱世ではそれもおぼつかない。また、この時代には、徳政令も頻発されたため貸主には元も子もなくなってしまうリスクが高かった。土倉・酒屋といったいわゆる高利貸しにしてみれば、こういったリスクを含めた利息を要求する必要があったということだ。
さて、徳政令とは、徳政を適用する対象や条件などを規定した法令ことをいう。では、徳政とは何か、本来は奈良時代以降、災害対策などのため税の減免、貧窮者の救済・施物、大赦などの善政・仁政を意味したが、鎌倉〜戦国時代は債権・債務の破棄政策に変わった。鎌倉幕府に御家人救済のため1297年永仁の徳政令を発布したのが始まりとされ、非御家人・凡下(ぼんげ)の質取・買得地を無償で本主に返付させた。室町幕府も窮乏化した農民などが徳政令を要求する徳政一揆に迫られ、しばしは徳政令を発布した。御家人救済の政策から民衆の収拾策(しゅうしゅう策:混乱した事態を落ち着かせるための策)へと変化し、さらには室町幕府は自らの財源確保のために徳政令を利用する(分一徳政)に至った。