合気ニュースと合気道界のこと(下)
この時の分析は、千利休は富木謙治、石田三成は藤平光一、秀頼は吉祥丸、加藤清正が望月稔ということなら、徳川家康は誰かというと、当時財界の支援を得ていた塩田剛三しかいなかった、ということであった。しかし、その後、養神館傘下に入り、塩田剛三の実体を知った時、そこには論理性がなかったことから、これはダメだと思った。このことを見極めたので、私の独自の運動を開始したのであった。では、現況はどうか、千利休の富木謙治は死に、石田三成こと藤平光一植芝総本部を離れたが、徳川家康は塩田剛三でなかったことは明らかだ。
加藤清正こと望月稔は健在で中々の策士である。かつて、「西郷頼母伝」の資料提供者、講道館側の資料として、西郷四郎の山嵐は大東流と関係がなかったという結論を出させている。(望月氏は盛平の門人だが大東流柔術は知らない)また、「合気ニュース」では、武田惣角をこき下ろし、その裏では、「合気ニュース」に大東流を研究させるための材料を提供しているが、これはフランスにいる息子に影響を与えようという意図があるようだ。
望月氏の出発点は「図解コーチ合気道」にあって、「西郷頼母伝」は同書からのコピーであった。また、フランス柔道連盟の合気道師範フロッケの目を武田惣角に向けさせたのもの望月氏で、私と接触させないように画策したようだ。植芝総本部を間接的に批判する目的で、五月女らに演武大会をやらせたり、武道としての合気道を主張することで、吉祥丸合気道に満足していない植芝合気道の人たちに対し自己の存在感を強調し、フランスの息子に後を継がせようと動いている、策士そのものだ。