合気柔術の技法18
久琢磨が教えた合気柔術は「武道」に載っている技を初伝とし、その先の技を教えていた。大東流は新羅三郎とは全く関係がないとする証明として、技法全体が徳川時代の裏芸・心得と称すべきものであった。合気柔術は新陰流兵法を基礎技法とするものである。大東流の名称は明治時代に付けられたもので、その本質は、公武合体の旗印の下、諸流派武術の統合を行った際に構成されたものである。その基礎技法は、会津松平家の祖松平正之が徳川家に推薦し、徳川家御指南役となった小野次郎右衛門忠明の剣術(後の小野派一刀流)、すなわち会津藩では溝口一刀流とし、第一線(柔術)の武法と位置づけた。一方、上級武士の武法は新陰流兵法を基礎技法とした。このことから、会津藩では三国一の武法として整備したとしつつも、ご本家である徳川家を中心とする考え方に基づく体系作りにその枠組みを置いていることがわかる。皆伝の口伝を知らなくても、技法を分析すれば武田家代々とか、惣角が創始したといった考えが成り立たないのは明らかである。
久琢磨のところで「盛平の知っている技の先を教える。」といって残した惣角直伝の合気柔術の技法は、御信用之手84か条の合気柔術ではないのである。「最初から教えてください。」という久の言葉に対し「盛平の教えている範囲でよい。」とする惣角の言葉からは、盛平は江戸柳生系合気柔術の基礎技法を完全にマスターしていたことがわかる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?