徳川家康の旗指物
家康が信心深かったことについての鶴山先生のメモです。
家康の旗指物で有名な「厭離穢土(えんりえど)欣求浄土(ごんぐじょうど)」という言葉がある。
穢土を厭 (いと)うて、浄土を願うという心は仏道の心である。家康は天下太平の志を「煩悩にけがれたこの世を離れて、浄土(きよらかな仏の国土)を喜び願う」という意味の念仏の心を表わす言葉に代表させた。なお、「往生要集」の上之巻第一のタイトル厭離穢土之事に由来するそうだ。
家康が大政治家であることは、世に知られているが、大の念仏信者であったということは、社会・歴史の中で教えられていない。家康が仏門に入ったのは若い時からである。若いころ戦に負け、三河の大樹寺に逃げ込んで助かったが、自害に及ぼうとしていたところ、住職に説得され、それ以降念仏の信仰も深まるとともに、全国統治への道をたどることになった。
仏教では、毎日のつとめとしてある数(遍数)の念仏を称えることを日課念仏というが、家康もこれを実行していた。「南無阿弥陀仏」の写経も多く書いている。また、戦には小さな阿弥陀仏像を持参し陣中に置いていたそうだ。
晩年には、大樹寺や増上寺から住職を招いて最後の念仏を授かり、往生の心構えを受けているのである。
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