大東流伝書のこと
大東流の伝書には、大東流柔術秘傳目録、秘傳奥儀之事などありますが、その形式に関する鶴山先生のメモを紹介します。
大東流の伝書はカタカナ入りで「第一條 右手ニテ・・・・・・事」と始まり、その行動法則が文章化されている。
時宗氏は、カタカナ文字があった新羅三郎の時代(平安時代)のスタイルをとっている、と昔説明していたが、これは誤りである。
日本人が最初に書いた日記については、ドナルド・キーンが『日記に見る日本人』の中で次のように書いている。「日本人が書いた最も初期の日記は、いずれも漢文で書かれている。その幾つかは九世紀の昔から今日も保存されている。僧円仁の『入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいぎょうき)』がある。838年に円仁が唐に向けて出発した時から847年に帰国した時期までの日記である。」このように日本人は漢文が常識であったと見るべきか、中国に行ったため円仁は漢文を使ったと見るべきか、まだ研究の余地はある。
さて、大東流の伝書は、文字化されていること、形の名称が書かれていないこと、が特色である。西郷頼母が、伝書を作る際に誰にでも読めるように工夫して書き置いたものであろう。これは密教の伝書スタイルに似ている。霊山神社がその麓にある、霊山修行場に来ていた密教修験者たちのやり方をまねたのかも知れない。羽黒山が近く東北という密教のメッカに住み、また、家老職を辞し隠居していた時期、密教との関係があったと思われる。
ところで、時宗氏の手相はとってあるので、分析してみれば面白いかも。