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密教と大東流

比較論考が好きだった鶴山先生のメモです。密教と大東流については、密接な関係があり、皆伝の口伝に「孔雀明王の咒(じゅ)の伝の事」があります。密教の孔雀明王経法という秘法に関することだと思われます。

空海は儒教・仏教・道教の三教を比較して、仏教の優位を明らかにした。そして、秘密曼荼羅十住心論10巻を著し、八宗(三論・成実・倶舎・法相・華厳・律・天台・真言宗)を比較して、真言をもって第一とするという判釈を打ち立てた。空海はこのように論理の比較を最も好んだようである。そしてこれが空海の知的作業の方法であった。
これらを大東流と比較すると、私(鶴山先生)の発想では、次のようになる。
①大東流三大技法をそれぞれ比較する私の発想は、空海の教理「三密」と同じである。
②大東流が東洋第一の技法であるという立証のため、私が考えることは、中国拳法との比較、諸流派柔術、古流剣術、現代武道との比較であり、これは空海の「世界のすべての教えや人間のあり方などを集大成して、最終的にそれが真言密教の立場の中に包み込まれていくとする十住心論」と同じである。
空海が創始した真言密教は雑密(ぞうみつ)を入れて、金剛胎蔵の陰陽の真密による大曼荼羅にある。
私に言わしめれば、金剛に当たるのは武蔵の二天一流であり、中国拳法でいえば外家拳なのである。空海は仏教の上を行くのが真言密教であると説く、刀法でいえば最強と認められた一刀流の上を行く新陰流兵法である。
空海の密教の秘法の伝授を受けるには密教の行を修める必要があったが、弟子となった最澄は、その行をやっていないので、教えられないとした。最澄は権力下の人であるが、頭だけで理解することは駄目だと否定されたのである。大東流的には、柔術や合気柔術の基礎技法を修めずに、その先の技法をやっても無駄だということである。技法あっての心法、殺法あっての活法、武力があっての自立発言権ということであろう。
いずれにせよ、こういったことを具体的に説明することが私には必要で、密教が示す大日如来の大曼荼羅図と大東流の関係を研究する必要がある。

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