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秘伝・合気道 堀川幸道口述 鶴山晃瑞編 14

合気道は長い間、会津藩の秘技として絶対秘密化されていたため、誤った仮説、推定説を有力な情報源として定説化されつつあります。このような現状を踏まえ、基礎的な合気について私なりの考えを述べさせていただきます。
合気道の概念について若い人達と久しぶりに話し合ってみました。若い人は最近発行の本による知識から「和合」「あわせ」が合気道であるらしいというが、抽象的な言葉なので技として理解しようとしても難しい、とのことのようです。また、合気道の極意技は「丸く、円く」と「らせんに絞る」ということですか、とも聞かれました。そこに集まった人の中には合気道歴20年というベテランもいましたが、あまりにも合気道の真実を知らないことに内心意外に思ったものであります。「らせん、や、まるく」の用語は古流武術の専門用語でありますが、合気道の独占的専売特許となるべき性格のものではありません。
例えば、新陰流兵法の三学円の太刀は、これを「三角円の太刀」と解釈される方がありますように、まるく三角に極めることは、古流においては常識的な心得であります。このような言葉を由緒ある大東流合気柔術を伝承する者として心外なことと受け止めております。これから合気道の実像を研究したいと思われる方は、その他古流との比較検討をお勧めするとともに、必ずや新時代の要求に適応できる社会的価値に基づいた対応を期待するものです。
合気道技法を言葉の解釈のみで理解しようとするのは不可能なことであります。「和合の精神」といった言葉で表わされる合気道に対し、古流と現代武道の先生方には、実技証明として納得できないものがあると思われます。また、「和、和合」が合気道の最大特色であるかのような印象を植え付けることは、他の古流武道の先生方を否定することにもなるからです。
「和」を求めず、単純に強くなればよい、勝てば良いということを求道することを目的とする日本武術は存在しないと思うからであります。世界に格闘技のない国はないと思いますが、「和」を目的とするものは私の知る限り存在しません。

解説 「基礎的な合気について私なりの考えを述べさせていただきます」とありますが、具体的な中身は記載されていません。ここでは、植芝盛平が大本教の影響を受け、大東流技法を大本教の教義で解釈しようとしたことを批判しているのです。ところで、単なる殺傷技術を超えた何かを求めようとする職人気質、求道的精神は日本武術の特色でもあります。
さて、植芝盛平は大本教に出会うことで、大東流的世界観とは違う神道的(大本の神が降臨する)立場に立つ事ができ、神道的アプローチから新たな合気の世界に到達したのでした。ただ、これはあまりに宗教的アプローチであったため、組織としての合気会の立場(定款)とは相容れず、また、その伝承も難しかったことから、盛平独自の最終的な合気の境地は実質的に失伝したものと思われます。

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