合気ニュースと合気道界のこと(中)
「合気ニュース」の中で、五月女貢、小林保雄(小林道場)、黒岩洋志雄(よしお)が三者対談をしていた。この中で特に興味を持ったことは・・・、
「私(五月女)の場合は、小林先生(立川周辺を中心に18か所の道場を運営との噂)や黒岩先生(立教大学などで指導)と違って、組織上は完全になっていない。」とあり、これで吉祥丸と縁が切れた状態であることが判った。また、三者共通で主張していることは、「規則を作ったり、ペナルティを設けたりしても役に立たない、ある日『先生、もうイヤになりました、出ていきます。』と言われても、死刑にする裁判とかは出来ない。ですからペナルティがある組織はよい組織ではない。」と信頼関係を維持することを強調している。これは昔の道場スタイルである。組織の拡大は独立していくしかないので、①資本力のあるところをバックに持つこと、②広報活動、出版物で主導権を掴むこと、③信頼関係を醸成すること、が必要である。
私も「合気ニュース」を広報手段として使った方が良いわけだが、まだ時期が早いと思っている。昭和46年4月に発表した「図解コーチ合気道」における私の主張が15年目にして始めて、第三者の手によって具体的に「その主張は正しい。」とする動きが始まったのである。20年前に電電公社合気杖道会を植芝合気道から養神館に切替えたことがあった。この時の私の考えは・・・、今太閤である盛平が死ねば植芝合気は分裂する、秀吉が死んでその偉業を継いだのは徳川家康であり、今そのように見える人は塩田剛三だ、というものであった。死んでから分かれるより盛平が生きている時の方がよいと主張し、300人の部員を引き連れ養神館に移った。