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塩田剛三先生の武勇伝(上)

電電東京合気杖道会会報(通刊第34号 昭和43年10月発行)から、「白米の天丼」と題する塩田剛三先生の武勇伝が寄稿されていましたので紹介します。寄稿者は合気道養神会師範 串田謄司氏です。
塩田先生は、軍属として派遣されていた東南アジアから昭和21年に復員しています。この武勇伝があった昭和22年は先生33歳のころで、田中清玄が興した神中組の社員(秘書)として働いていた時期です。先生が合気道養神会を立ち上げるのは、昭和30年ですから、当時は植芝盛平門下ということになります。この前年、先生は大東流合気柔術の看板で指導されている旨、新聞に紹介されています。
 
白米の天丼
                       合気道養神会 串田謄司
昭和22年1月1日、日本通運の役員宅へ年始の挨拶に向うため、国電恵比寿駅の改札口に降り立った塩田剛三先生は、ガード近くの交番の人だかりを何気なくのぞいて見た。若い女性がうずくまって泣いている。黒人兵にこの昼間、路上で乱暴されたとのこと、当の兵隊はたった今立ち去ったばかりで、すぐこの先の道を歩いているということを聞いた。
「誰か助け出さなかったのですか?」
「相手は大勢だし、ピストルを持っていて時々撃って来るので手も足も出ませんよ。」(続)


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