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#17 服部 芽恵の花が咲くまでの道(関西第1代表 聖泉大学 4年)
①カコ
サッカーとの出会いは、幼稚園年長の時です。
友達の親から少年団の体験に誘われたことがきっかけでした。
体験に誘われた時は、サッカーというスポーツを知らなかったので父に手を引かれながら練習会場に向かったのを今でも覚えています。その日に入団を決めてから、クラブの練習がない日でも家の中でリフティングをしたり道路でドリブルの練習をしたりと日々練習に明け暮れていました。
中学生の頃は、同年代の人だけでなく年上の人と一緒にプレーする機会が増え、自分の未熟さに気が付くことができました。
自分より格上の人とプレーすることで技術面は勿論、サッカーに対する姿勢なども刺激を受け、学ぶことが多い3年間だったと思います。
高校生の頃は、高校の女子サッカー部に所属し、3年間活動しました。
高校では親元を離れ、寮生活を行う中で人として成長することができました。
また、指導者や仲間に恵まれ充実した3年間を過ごすことができました。
しかし、高校生活の中で唯一後悔していることは、
高校2年生の全国大会直前で怪我をしてしまい、全国のピッチに立てなかったことです。
その悔しさを晴らすためにも、
必ず全国のピッチに立ちたいと思い大学でサッカーを続けることを選びました。
②スイッチ
22年間生きてきた中で、一番悩み苦しんだのが大学4年間だったと思います。
1回生の時は毎日が新鮮であっという間に1年が過ぎたような感覚でした。
しかし、2回生の時に思いもよらないことが起こりました。
サッカーを始めてからずっと2人3脚でサッカー人生を歩んできた父に病気が見つかってしまったのです。
離れて暮らしていたこともあり、このままサッカーを続けていいのか悩みに悩みました。
その中で出た決断は、高校の時見せることのできなかった全国でプレーしている姿を見せることでした。
2回生の時に創部初の全国大会出場を決め、全国でプレーする姿を見せることができました。
それが、父が見た最後の私がサッカーをしている姿でした。
3回生の夏に亡くなり、それからというものサッカーをすることが怖くなり、プレーする理由がなくなってしまいました。
そんな中、救ってくれたのは家族と仲間の存在でした。
サッカーの楽しさを改めて実感し、またこのチームでサッカーがしたいと思うようになりました。
空から見守ってくれる父のためにも、
支えてくれた仲間や家族のためにも、
去年の結果であるベスト8という成績を超え最後の大舞台は後悔なく全力で戦います。
③ミライ
将来を考え、進路選択をする際に、サッカーを続けるか就職するか迷った末、就職するという決断をしました。
幼稚園からサッカーをはじめ、それからはサッカー漬けの日々でした。
チームを選択する際、高校や大学を決める際、分岐点にはいつもサッカーという存在がありました。
そんな自分が初めてサッカーをやめるという選択肢をしました。
今までサッカー中心の生活をしてきた自分にとってサッカーをやめるということは想像がつきません。
その選択肢をいつか後悔する日が来るかもしれませんが、新たな挑戦としてプラスに考え、自分が選んだ道を全力で頑張りたいと思います。
これまでのサッカー人生は、家族なしでは成長することができませんでした。
小学校から中学校までは練習場までの送迎、帰宅時間に合わせて出てくる温かい食事など様々なことを文句ひとつ言わず支えてくれました。
高校で親元を離れてからも大きな試合には欠かさず応援に来てくれました。
これから先、家族にはゆっくりと恩返しをしていこうと思っています。
大学サッカーが終わっても自分の人生はまだまだこれから先長いので、
沢山の事に挑戦していきたいと思います。