見出し画像

#5 奥山 紗良の花が咲くまでの道(東北第1代表 八戸学院大学 4年)

①カコ


父親がサッカーをしていたので試合を見たり、小さな時からサッカーボールで遊んでいました。小学校からサッカーを始めて今年で14年目になります。

実は高校でサッカーを離れようと考えていました。
しかし、東北大会でボロボロに負けて全国大会に出場することが出来ず、その最後の試合がとても悔しく、切り替えることが出来なかったので大学でもサッカーを続けることを決めました。

大学に入って高校とは違うサッカーのギャップに正直、心が折れそうになりました。
そんな時、声を掛けて面倒を見てくれた先輩や同期のマネージャーの存在がとても大きかったです。同じフィールドでプレーしている先輩のアドバイスも、外から見ているマネージャーだからこそ分かることを教えてもらって自分の理解・成長に繋げることが出来ました
この人達がいなかったらきっと今の自分はいなかったと思います。

画像1


②スイッチ


私のスイッチは色々な人との出会いです。

この大学4年間、ケガが続きサッカーを満足にプレー出来ていません。
手術やリハビリを繰り返しグランドにいた時間も人より少なかったです。
当然、体力もメンタルも右肩下がりでいいことなんて何一つありませんでした。

ところがそんな時、私の意識を変えてくれる人と出会いました。
当時、チームのフィジカルやケガの担当をしていたトレーナーの方です。

その方は
ケガをしたからすべてが悪い方向に進むわけじゃない、今までは中から見ることしかできなかったけど今は外から色々なことが見れるんだよ」
と教えてくれました。

その言葉を聞いて落ち込むことしかできなかった私は気持ちがフッと軽くなりました。それからはリハビリをしながらチームを外から観察し、サッカーを見る視点が広くなったと感じます。

このケガがあったからこそチームも自分も客観視することができ、復帰したあとの成長に繋がったのだと思います。
他にも主治医の先生やリハビリを担当してくれた理学療法士、監督、家族、チームメイトの支えがあったからこそここまで折れることなくサッカーを続けてこれたと実感しています。

画像2

 ③ミライ

実をいうと、4年生になる直前の3月に前十字靭帯再断裂をしました。
前の断裂の時は手術をして約6か月サッカーから離れていました。
しかし、今回は最上級生になり最後の年だということ、チーム・グランドから離れたくない気持ちが大きかったため手術はせず、プレーを続けることにしました。

そんな状況を理解してチームに合流させてくれた監督やコーチ、トレーナー、家族、主治医の先生や理学療法士、チームのみんなにはとても感謝しています。
いわゆる膝に爆弾を抱えた状態でサッカーをしているので、みんなには心配ばかりされています。

ですが、今回のインカレは大学生活最後の大会
みんなの心配を跳ね返すようなプレーで全国の舞台に臨みたいと思っています。4年間、ケガに悩まされた悔しい気持ちをバネに全力でフィールドを駆け回りたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?