私のサッカーノート/#12 加藤 遥(東北第一代表 仙台大学)
①サッカーとの出会い
私がサッカーを始めたのは、小学校2年生の頃でした。3つ上の兄がサッカーをしており、練習や試合についていって遊んでいるうちに、サッカーに興味をもつようになりました。親に「サッカーがしたい」と伝え、スポーツ少年団に入りました。小学校では、スポ少と女子のクラブチームでサッカーをしました。中学校では男子のクラブチームに所属しました。しかし、チームにうまく馴染めなかったり、私の実力不足で試合に出場する機会も少なかったりして、男子の中でサッカーをすることの難しさを感じました。高校では女子サッカー部のある高校に進学し、サッカーを続けました。
いつでも楽しくサッカーができていたわけではなく、怪我や挫折によりサッカーが嫌になり、離れたくなることが多々ありました。しかし、私を支えてくれる家族、サッカーを通して出会えた指導者、仲間など沢山の人々のおかげで小学校、中学校、高校、大学と長くサッカーを続けることができています。また、試合で勝つことの嬉しさ、負けることの悔しさ、できたときの喜び、うまくいかないときのもどかしさ、その他にも数え切れない経験をすることができ、サッカーのお陰で心身共に強く、逞しくなれたと思っています。
②大学生活と大学サッカー
私が仙台大学に進学した理由は、教員免許を取得するためとサッカーで挑戦するためです。
私は保健体育の教員免許を取得し、教員になるという夢をもって入学しました。1、2年生の頃は授業が多く、慌ただしい毎日でした。3年生の頃は授業は少なくなっていましたが、教員採用試験に向け、学校で勉強をして部活に行くという毎日でした。土日も部活終わりに研究室に向かい、夜まで勉強をしていました。今は授業もほとんどなく、自由な時間が多いですが、卒論に追われています。
仙台大学女子サッカー部は、「常昇、常勝、常笑」をスローガンに活動しています。今年は、選手19名と人数が例年に比べて少ないです。特に4年生は3人しかおらず、チームをまとめることは大変ですが、声を出したり、自分から積極的にチームのために動いたりして、手本となれるようにしています。
今年は新型コロナウイルス感染症の影響により、練習や試合、遠征がなくなり、思うように部活ができないこともありました。サッカーができることは当たり前ではないことを痛感しました。自粛期間が明け、久しぶりに仲間とサッカーをした時、サッカーができることの嬉しさ、楽しさを改めて感じました。
コロナ禍でもインカレが開催されることに感謝しています。大学サッカーの集大成として仲間と最高の景色を見るために、残り少ない練習の中で個々の技術を向上し、チーム力を高められるように、仲間と切磋琢磨し合っています。
③将来のビジョン
②の大学生活と大学サッカーでも記したように、私は教員になることが将来の夢です。そのため、2年生の冬頃から勉強を始め、今年の教員採用試験を受験し、現役で合格することができました。私が合格できたのは、ご指導してくださった先生方、毎日一緒に勉強してくれた仲間、支えてくれる家族のお陰です。来年4月から教員として働きますが、教員になることがゴールではなく、そこからがスタートだと思います。長年夢見てきた教師という仕事のスタートラインに立つことができたため、これからは教師としての自覚と責任をもち行動をしていきます。また、体育教員として生徒が体を動かすことの楽しさやできることの喜びを経験できるように、指導や場の工夫をして体育の魅力を伝えていきたいです。
サッカーは大学で一区切りとしますが、指導者C級ライセンスや4級審判の資格を生かし、地元である岐阜県女子サッカーの普及に微力ながらも尽力していきたいです。