#13 吉間 かれんの花が咲くまでの道(関東第5代表 山梨学院大学 4年)
①カコ
私のこれまでのサッカー人生は右肩上がりでもなく右肩下がりでもなく、まさに山あり谷ありだった。
人は過去を振り返る時、よく、「あの時の挫折があったから今の自分がある。」
そう口にする事が多い。
でも、私は「あの時の嬉し涙が輝いていた時間が、苦しんで絶望していた今の自分の背中を押す原動力になっている。」
そう胸を張って言える。
高校3年生のインターハイで日本一になったこと。
あの瞬間は今でも忘れない。
初めて嬉し涙を流した。
もがいていた全ての時間が報われた、とてもかけがえのない瞬間だった。
大学生になり、今度は右・左大腿骨、右脛骨、左足第五中足骨の4度の疲労骨折を経験し大きな挫折を味わった。
悔しさよりも苦しさや辛さが勝ち、復帰する度にまた怪我をしてしまうのではないか、
とサッカーをすることが怖くなっていた。
そんな自分を支えていたのが、自分自身が積み重ねてきた経験だった。
②スイッチ
困難にぶつかった時に踏ん張る力をくれるのが、
これまでの経験の中で起きた出来事だけでなく経験の中で巡り会ってきた人達の存在だと思っている。
高校3年間ただひたすら、あの最高の景色を見るために支え合い共に闘った同期の15人。
今の自分を見てくれる。
そしてインカレ優勝に向かってそれぞれが違った何かを抱えながらそれでも1人ひとりがどこかでチームを支えている、山梨学院で出逢った同期の8人。
そして中学生の頃に2年間サッカーを教わり、私が高校で高い壁に挑むことを選択した時、そのきっかけをくれた、4年越しにまた出逢った監督。
積み重ねてきた経験の中で出逢ってきた人達が間違いなく、
困難にぶつかった時に自分に手を差し伸べてくれた。
まだまだやれるだろ!と立ち上がる力を与えてくれた。
喜びの瞬間でも壁にぶつかって苦しんでいる時でも、いつかの経験が必ずどこかで繋がっている。
そう実感している。
だから、今起きている出来事も今のこの時間も決して無駄なものはないと、大切に積み重ねていきたい。
③ミライ
16年間サッカーをやってきて1年1年が本当に濃密だった。
サッカーをすることを選んだからこそたくさんのものを犠牲にしてきたし、
好きなことに打ち込む楽しさをずっと持てていたわけではない。
それでもサッカーを選び続けてきたからこそ、文章で語れるほどの充実した16年を創る事ができたのだと思う。
これまで支えて応援してくれた人達に、
サッカーを通して出逢うことができた人達に対して、
感謝の気持ちを持ち続けていきたい。
私は大学でサッカーを辞めることが決まっている。
卒業後は、多くの怪我を経験した私だからこそ伝えていけることが必ずあると思っているので、
大学での経験を生かして新しい場所でチャレンジしていきたいと思っている。
なので、インカレはサッカー人生を締めくくる最後の大会であり、このチームでサッカーをすることも最後になる。
決してピッチには立てなくても、もしピッチに立てたとしてもチームの為に全てを尽くしたい。
勝負の楽しさを最後まで味わいたい。
チャレンジャーとして、どこのチームよりも長くサッカーができるように、何より最後は笑って終われるように頑張りたい!!