見出し画像

私のサッカーノート/#10 目原 莉奈(関東第六代表 日本体育大学)

①サッカーとの出会い
私がサッカーを始めたのは小学4年生の頃です。それまでは姉2人の影響でバスケをしていたが、従兄弟の影響でサッカーに転じました。また、その頃は身近にサッカーをしている女子がいなくて、『人と違う目立つことがしたい!』という思いもサッカーを始めた理由の一つです。
小学生の時は地元のJリーグの下部組織に(セレクションを経て初めての女子選手として)入団しました。中学も同チームのレディースチームに所属しました。ずっと負けず嫌いだった私は、その頃からトップレベルでサッカーがしたいと感じ始めていました。高校から地元を離れ、何度も優勝経験を誇る日ノ本学園に入学しました。
それまで、うまいうまいとチヤホヤされながら王様気分でサッカーをしていたが、一気に立場が覆りました。みんな意識が高く、みんなサッカーが上手い。自分の中にある''当たり前''の基準が低かった事がただただ悔しかったです。だから沢山練習をしました。嫌いだった走りも沢山しました。オフの日も暗くなるまで1人でシュートを打ちました。
その甲斐あって、メンバーとして全国優勝を3度経験することができました。
その後さらに上のレベルを体感したいと思い、現在の日本体育大学に進学することに決めました。

画像1

画像2

②大学生活と大学サッカー
私は高い志を持って日本体育大学に入学しました。高校までと違い、技術やスピード感がグッとレベルアップする大学サッカーは楽しく魅力的でした。
そんな私が予想だにしない出来事が起きたのは大学2年生の時です。『オーバートレーニング症候群』になってしまったのです。
あまり公にしてこなかった為、周りからは怪我を心配されたが、チームのnoteや今回のnoteをきっかけに話してみようと思いました。
 ある日、前日まで大好きだったはずのサッカーが急に嫌になりました。身体が鉛のように重くベッドから起き上がれない。騙し騙しでグランドに足を運ぶも、動悸と吐き気が止まりませんでした。その日から丸一年、私はサッカーを手放しました。沢山思い悩んだ時期です。
しかし、今ではこれがいいきっかけになったと胸を張って言えます。サッカーの楽しさ、応援のありがたみ、点を取る楽しさなど、これらのことを1番学んだのは間違い無くこの時期です。
復帰してからは伸び悩んでいた得点感覚も取り戻し、今年のカンカレでは最も多くの得点(7得点)を挙げる事ができました。
あっという間に大学ラストイヤーを迎えました。
最後、笑って終わりたい。自分がチームを勝利に導くので、今大会は是非注目して欲しいです。


③将来のビジョン
私は、小学生〜大学までのサッカー生活の中で多くの感情と技術、また人間性を習得してきました。
大学卒業後という近い将来ではなく、人生という大きな枠の中でのビジョンとして、私は『老若男女、多くの人々の役に立つ仕事』がしたいと考えています。
もし、サッカーを続けるのであれば多くの人々に自分のプレーで感動を与えること。また、サッカーを始めとするスポーツ全般の楽しさを与えられる選手になること。
サッカーを続けないとしたら、今まで培ってきた体力や精神力を活かして多くの人々を助けること・役に立つこと。
そして何より、小学生〜現在に至るまで好き放題に夢を追わせてくれた家族に感謝を伝えることです。
私のこれまでの人生は、1人では創り上げることができませんでした。地元を離れても、1番側で支えてくれた家族にはこれから先、ゆっくりと恩返しをしていこうと思っています。
これまで支えられっぱなしだった私がこの先社会に出たら、次は多くの人々の人生を支える番だと決意しています。
大学サッカーが終わっても、''目原莉奈''の活躍は止まらないのでこれからも応援よろしくお願いします。


いいなと思ったら応援しよう!