#7 塚本 奈緒の花が咲くまでの道(北信越第1代表 新潟医療福祉大学 4年)
①カコ
人生にはある日突然まさかのことが起きる。
そう、起きたのだ。
まさかの出来事が、
決して忘れてはいけない出来事が。
2011年3月11日東日本大震災である。
当時、小学5年生だった。
衝撃的だった。
ショックだった。
怖かった。
そして、サッカーが出来なかった。
それ以前に普通の生活も送れなかった。
水道、電気、ガス全てが止まった。
でも、今思えば私は、不自由なく生活できていたほうだった。
助けてくれる大人がいたから、たくさんの支援があったから、いつだって側にいてくれたから、不自由や不安を感じることのないほど支えられていたのである。
後から聞いた。
兄はもっと被災している地域に行ってガレキを掃除していたんだって。
母は暗闇の中、家族分だけじゃなくて私の友達の分までおにぎりを握ってくれてたんだって。
家族だけでなく、たくさんの人が支えてくれていた。
普通の生活ができること、
だいすきなサッカーが出来ることは決して当たり前ではないと痛いほど実感した。
そして、またサッカーが出来たとき、それはたくさんの人の支えがあり、なにより強い想いがあったからだと私は思う。小学5年生で私はとても大事なことをとても悲惨な出来事から学んだ。
②スイッチ
日ノ本学園へ入学し、3年目のインターハイは地元宮城県開催だった。
カコで語った通り、私には特別な想いがあった。最高の恩返しだと思った。
でも、メンバーに入ることができなかった。
痛いほど悔しかった。
涙が止まらなかった。
そんな自分が死ぬほど情けなかった。
だからこそ、本気で優勝がしたかった。
ピッチで闘うみんなの力になれるように、メンバー外のみんなで必死でサッカーをして、サポートをして、本戦では死ぬ気で応援をして、勝ちたいと強く想った。
そして、インターハイ優勝を果たした。
優勝の鍵はチーム全員が
「どんな立場でもチームのためを想う」
ことができたから。
いつだって支えてくれる人達がいて、特別な想いがあって、伝え切れないほどの感謝があったから、ドン底にいた私はチームの力に人一倍なりたかった。
チームのためを想う気持ちが私を変えるキッカケだった。
チームのためを想う、人のことを想うってすごく難しかったけど、とても大切で素敵であたたかいこと。自分だけじゃなく人のことを想えるようになったよ。ぐんっと大人になったよ。最高の恩返しじゃんか、奈緒!次は結果でね。
③ミライ
新潟医療福祉大学に進学し、私は4年生最後の大会を迎える。
今までのサッカー人生でたくさんの想いがあった。
今までもこれからも私は私のプレーで全ての人に対する感謝やリスペクトを表現していく。
今大会は、多くの人の目に触れる機会である。私のプレーをみて、強い想いを感じて欲しい。
被災地が元気付けられるように、
決して風化しないように。
そして、支えてくれる、応援してくれる人たち、いや、今まで出会った人全員!に恩返しができるように。
だいすきな仲間達と、結果で内容で恩返しができるように全員で全力で闘う。
ひとりひとりが「どんな立場でもチームのためを想う」ことを忘れずに闘うこと、
リスペクトと感謝を忘れずにプレーすること。
新潟医療福祉のサッカーで日本一を目指す。
自信持って胸張って顔あげて、全力で楽しむ!
最後にいつも味方でいてくれる家族へ、成長した私の背中をどうか見守ってて。甘えてばかりかもしれないけど、ドンと背中を押してね。
そして素敵な人に、素敵な出来事に出会わせてくれたサッカー、ありがとう。
この場をお借りしてこのような状況の中、インカレが開催されること本当に感謝しています!本当にありがとうございます!
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